はじめに
なぜか掲載していなかったので作成中(汗) なんで抜けていたんだろう(--;??
記憶の整理がつき次第、「2008」「2009」「2011」「2012」とページを再編する予定です。これを書いていて思ったんですが、ブログをはじめたのが2010年3月なので、
2008年、2009年とかの京都滞在中にはまだ開設前だったんですよね(・・; いろいろな意味で、信じられない気持ちでいっぱいです。
2014/11/29 加筆
いまさらながら、2008年の秋に京都を訪れた際の想い出を思い出しながら書き記してみました。→ 2008 秋をよむ
京都上洛
生まれてはじめて京都に上洛~!! したときの絵・・・
この見た感じは、たぶん東本願寺とかのあたりかな。なんで扇子を天に舞わせているのかは不明です(・・;
源氏物語の作者さんのお墓にお参りをしつつ
紫式部さんは一説には「紫野」の生まれだそうなんですが、そうだとするとここに墓所があるのも気分としてはなんとなくわかるようなわからないような。根っこから紫色の染料をとれたという大変貴重な植物が、平安の宮中によって運営されていたそうです。ただ、私が訪れたときの紫野は田舎という言葉からもほど遠く、都市の住宅地のような印象が。
ここから歩いてもいける距離に陰陽師の安倍晴明さんの晴明神社もあったりします。場所が意外にわかりにくくて、タクシーの方に道をききつつ向かいました。
東本願寺をまわったり(この階段は座れるところです)
本願寺はもとは東西いっしょだったそうなんですが、あるときを境に東と西で分かれたとか。
宿泊先のホテルの前に偶然にもある近藤勇さんの碑文
京都は九条までしかない・・・と私も思っていたんですが、数年前の発掘調査で意外にも十条の跡が確認されたようで、かなりビックリしました。ただ、これは暫定的につくられた空間のようで、平安の頃に機能していたのはやっぱり九条までだったようです。新撰組の隊長近藤勇さんが悲運(といえるかどうかも微妙ですが・・)の果てに明治政府軍によって「賊」として斬られたのは千葉の流山です。「え!?京都の三条河原とかじゃないの??」とかずっと疑問だったんですが、当時は京都から江戸を転々としていたんでしたっけね・・・。
室町幕府の足利さんがつくったという金閣寺
金閣寺の古写真などをいろいろと眺めていると、たまに二階の部分から別の建物へ続くような渡り廊下が写っていることがあります。これが何なのかは、ちょっといまだによくわからないです^^; 金閣寺の正式名称は鹿苑寺で、御朱印をいただくとそちらの名で記されてました。
金閣寺の中にある茶室(抹茶をいただけます。)
わたし、ほんとに抹茶が大好きで、旅先で飲まないことはかなり稀な感じです。そうはいいつつも、先日、奥州の仙台を訪れたときはついつい機会を逃してしまったんですが><
伝統和の旅館様と木屋街
大好きな土下座
この写真で向かって左側は、なんと「箱庭」になっていて、そこだけ照明をつけるという味なこともできるお部屋でした。いっしょにいた友人と話していたんですけども、こういう一見すれば無駄に思える空間に贅を感じたりします。使えるけれども、あえて使わない空間みたいのがなんとなく桃山時代あたりの美風な気がします。
ものすごく素晴らしい伝統和の旅館様でした。
旅館様の廊下。淡い光がものすごくいいです。
祇王寺を訪れたりもしました。ただ、夏に行くのはちょっと暑過ぎたかもしれない~とか思ってます。気温が38.5とかで、湿度がとても高いせいか42度くらいに感じましたです><
たべもの~
このときのお食事についてはブログ日記に書いてあるのでそちらにリンクしておきます~♪グルメ日記もありますよ~ん☆
グルメ日記のページに「京料理」をいろいろとまとめて掲載してあります。
2008年 夏 鴨川「梅むら」様にて
2009年 貴船「貴船」様にて、 嵯峨野「ひろ川」様にて
2012年 春 祇園「川上」様にて
このときの滞在は、なんとなく日記にして残すこともないままに時間だけ過ぎちゃったんですが、せっかくの想い出なので消えないように字にしておきます^^; それにしても、もうあれから6年もの月日が流れているのかぁ・・・。東山のウエスティンホテルにたしか一泊だけしたんですけども、なんていうか当時のわたしの中にあった、妙な気分がそこを選んだ感じで、それ以来泊まってはいないながらもすばらしい空間でした。
場所は「東山蹴上」です。「けあげ」という名称自体がわたしには独創的な響きに思えました。とりあえずびっくりしたのが、ホテル自体の一階が二階だったんですよね。
え、何言ってるの? って思われそうなんですが、文字通りに一階に入ると二階なんです(汗)。というのは、山の流れのままにホテルが築かれているので、山がそのままにフロアっぽくなってるんですよね。
その発想がすごいと当時思ったんですが、今こうやって思い出しても、私の旅の記憶の中でもあまり他に例を見ないホテルさんでした。しかも私たちの滞在してお部屋(二階だけど一階)のすぐ外にはホテルの敷地内としてはかなり広めの日本庭園の枯山水がつくられていてこれも素晴らしい。ふと奥に視線をやると、なにやら石段を見つけました。そこを昇って行くと、上には小さいながらも神式の祭壇のようなものがあり、神秘的な空間でした。でも東山に宿をとると意外に嵐山嵯峨野とか、宇治とかへでるのに時間がかかるとか当たり前なことにあとになってから気づいてしまった^^;
このときは私がとても源氏物語の特に宇治十帖にはまっているときで、とにかく宇治に行きたくてしょうがなくて、平等院と源氏ミュージアムをまずは見に。眩しいばかりの紅葉を目にしたのはこのときが生まれて初めて。
とはいえ、そのときの写真はほとんど残っていないのでなんというか残念(ーー; 宇治橋を渡るあたりに抹茶のお店が並んでいて、アイスを食べてから橋を渡るわたしたち。
宇治川を実際に見るのは生まれて初めてで、橋の上に立ち尽くすこと30分くらい。平安の頃はこの川の流れは流されるほどに激しくて、しかもとてつもなく暗かったそうだけども、今の時代からするとゆるやかな流れに見えました。
宇治橋を渡って、平等院の方面へ歩いてゆくと、流れとして「源氏ミュージアム」があって、その手前に「宇治上神社」が。
しかもなにげにある感じのこの神社は世界遺産な上に、創立が西暦でいう1060年前後というからきっと延喜式にもあるような超古式神社で、その割には無言な感じがかえって印象深かったのを覚えてます。
銀閣寺にも行ったんですが、残念ながら工事中で主な景観は味わえず・・・。
あとになってから考えてみると、源氏物語が書かれた頃には、銀閣寺はもとより、金閣寺も存在していなかったっていうのは当たり前ながらも想像しにくかったり。金閣銀閣は新しいといえばそうだけども、上にあげた宇治上神社はものすごく古いのに、それでも源氏物語が書かれた頃(1008年?)にはたぶんまだ存在してなかったっぽいな~とか思うと、ますます不可思議な気持ちに。
えーととかには・・・。 また思い出したら追記するかも。
めちゃくちゃ古い携帯の画像を発掘してきました^^; ここの鯛茶漬けは美味しいです☆
源氏物語宇治十帖。あのエンディングはグッドなのかバッドなのか・・・。
久しぶりに源氏物語のページを開こう。