京をゆく - 2011 春 -

2011年に京都を訪れたときの想い出です♪

2014/11/21
今になってみれば、いろいろと情けないことの多いこのページ。だけども当時はそれでせいいっぱいだったし満足だったので、あとになってから取り繕うのはな んだかなぁ・・・とか思いそのままに。

このときは「舞風館」という宿さんに泊まらせていただきました。「ねねの道」にある宿さんで、部屋は簡潔で広く、ホテル一階にはコンビニも備わっていて、 とても便利で助かったのを覚えております。しかも二年坂まで歩いてわずかに3分くらい^^;
京都はどうしても東京などに比べるとコンビにが圧倒的に少ないので、それだけは毎回苦労します(ーー;

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京都滞在日記 宇治洛南編

宇治の抹茶を飲んでいるとこです^^


宇治の橋の上にて~☆ この着物なんですけど、ドレス着物なんで、キラキラってます。今なら・・・ これでは歩かないかもしれないけどさ・・・。なんだろう。そういうものってあるよね(謎) 歌舞伎町の外でこれ着てる人あまり見たことな い・・・からこれで歩くの結構好きです。


平安時代に書かれた源氏物語などによると、当時のこの「宇治川」の流れは今よりも相当に激しく、「宇治」というのが「憂し」の掛詞でもあることから、どこか恐ろしい雰囲気を帯びた場所だったそうです。思えば源氏物語の宇治十帖が全体的にもどこか霧に包まれていてしかも先が 見えないのは、舞台が宇治だからだと思います。というより、あえてそうしたのだとは思いますけども^^;

この宇治川にかかっている橋を越えれば、平等院鳳凰堂の方面に出るんですけども、これってあれですよね・・・。平家物語にも出てきたような気がする・・・。ちょっと記憶が曖昧なので、後日調べ直して追記します^^;




源氏物語「宇治十帖編」の、匂ノ宮様と・・・多分、浮舟さんかな・・・?(中の君じゃないですよね・・・?)




京都滞在日記 祇園編(高台寺、二年坂)

「高台寺」は、豊臣秀吉の正室「ねね」嬢がその原型をつくったと言われてますけどもどうなんでしょうか^^; 実はこのと き、私が宿を決めたのも「ねねさんがつくったらしい」というところに微妙に魅かれてました。ちなみに、前にここに書いてあった説明はわたしのデタラメだっ たようで修正しました(汗) 側室が「茶々(=淀殿)」嬢ですね。淀殿、あまり好かれていないようだけども、わたしは嫌いじゃないす・・・。なんていうんだろう・・・。やっぱ比喩としての貴種は好きです、本音をいうと(ーー;



夜の二年坂


夜の高台寺


昔、成田空港のあやしいお土産ショップで買ってしまった光る系の・・・なんだろ。襦袢・・・じゃないよね、浴衣なのかな^^;??



わたし自身はお酒ほとんど飲めないので、他の方に注ぐのが好きです^^


京都滞在日記 嵐山嵯峨野編 2014/3/2 加筆

嵐山にはたしか二回ほど滞在しました。一回目の宿は嵐山の渡月橋手前から小倉山に向けて歩いて5分程度の奥まったところにあるとても閑静な「らんてい」さ ん。朝食はたいていの京都の宿がそうであるようにクーポン式で、京風なあっさりとしたおかゆにシャケと軽いおばんざいがついて、いい感じでした^^ 二回目はその近くにある宿「らんげつ」さん。ここもなかなかリーズナブルに利用できて、使いやすいなぁ~と思います。


ところで司馬遼太郎さんの「街道をゆく」に頻繁に「渡月橋」が出てくるんですが、明治維新後には相当に荒れ果てていたよう です。それには理由があって、江戸幕府時代には(新撰組の上司だった)京都所司代とかが意外にも嵐山方面の草木などをかなりお金かけて手入れをしていたそ うなんですが、維新後そのようなこおtもなくなって、たまたま嵐山を訪問していた大久保利通が元幕臣の勝海舟に嵐山の景観について相談した「らしい」で す。


私はほんとに「渡月橋」が大好きで、「月を渡る」というネーミングのセンス自体がたまらなく大好きです。ただ、これはどう も・・・ 純粋な和風ではないようですね。いろいろな書物に記されていると思うんですけども、近くにある天竜寺の影響とかもあって、どうも宋王朝の高名な 僧が基本的な設計に関わったと目にしたように思うんですけど、ただちょっと気になるのはこの渡月橋って直線の橋ですよね・・・? 宋とかの橋ってアーチ状 だと思うんですけど、どうなんだろう。


そういえば、渡月橋がかかっている川の名前なんですけども、渡月橋を境界にして、天竜寺を後ろにしたとき、向かって右側が 「大い川」で、向かって左側が「桂川」です。もちろん同じ川なんですけども、渡月橋を越えるかどうかで名前が変わるっていうのも面白いです。


あと、嵐山といえば「車折神社」という不思議な名前の神社があります。その名前の由来は平安時代の頃、上皇がこのあたりまでやってきたときに牛車が壊れて しまってそれでこの名前がついたそうです。ただ・・・ 上皇が牛車に乗るっていうのは微妙に意外なお話だなとかふと思いました。どうなんだろう・・・。


坂本龍馬特集(笑) @高台寺の丘の上のお墓あたりへ





龍馬さんのお墓はかなり高台にあって、信じられないことに桂小五郎のお墓よりもはるかに高いところにあります。これは考え てみると面白くて、桂さんは元勲といわれるくらいだし、官位的にも従一位のなんと太政大臣(!)なんですよね。対して、坂本龍馬さんは志半ばに倒れたとは いえ、わたしの記憶がたしかならほとんど無官に近いはずで、この差はすごいなぁ~と感心してしまいました。で、売店で売られていたのは坂本龍馬の写真集=  福山雅治さんの写真集 でした。もちろん買ってしまった(汗)



実はこのときに、せっかくなので「軍鶏(しゃも)鍋」を食べようと思ったんですけども、急に探してもなかなか見つからずに、行き慣れている花見小路へと向かってしまいました。


いにしえの奈良をゆく 祟神天皇陵、奈良公園、春日大社

このときは京都に宿をとっていたので、そこを起点として生まれてはじめて奈良を訪れました。京都駅から近鉄奈良線で南へ下ることわずか6駅(?)ほどで早くも、いにしえすぎる奈良へ到着。でも、わたしたちが目指しているのは奈良駅周辺ではなくて、さらに南に位置する「春日大社」と「山の辺の道」。しかし、気がついてみるとなぜか奈良公園に(・・; そこを目指していた覚えは無いんですけども、気がついたら迷い込んでしまったんですよね(ーー; ほかには「唐招提寺」や「薬師寺」も念頭にはあったんだけども、今回は時間の都合がつかなくて断念。それにしても世界遺産が多すぎる。


奈良といえば、万葉集。
「ゆかのわか」ページはこちらからどうぞ~(音声注意)
(とある方がわたしを題材に詠んでくださった和歌も掲載しております。)

京都駅から近鉄奈良線でなんか妙に遠くまでいった気がします・・・。巻向(まきむく)駅の前の駅で・・・えーと・・・。思い出したら書きます^^; 



山の辺のみち

万葉集の舞台である山野辺(やまのべ)にあたるこのあたりは、なんか本当に神話の時代のようで、大和神山のひとつ三輪山(みわやま)もちゃんと肉眼で見て きました!遠くからでもたしかに何かの木がひとつだけ立っていますね・・・。




古代の天皇の陵墓です。隣の駅の巻向(まきむく)にもかなり重要な古代遺跡があるそうです。一説には崇神は神武と同一じゃないかって説もあるようですけど も、私もド素人ながらそんな気がします。とりあえず西暦300年より前ってことはちょっとありえなすぎると思う・・・。

この崇神天皇陵のすぐ横に不可思議な取り合わせでホットドッグのとても美味しい屋台さんがでておりました。このあたりは初見のわたしたちにはレストランなどが容易には見つけられずに、かなり苦労した思い出が(ーー; 当時は三輪そうめんの存在を知らなかったこともあって、知っていれば確実にそれ食べたかも~と思います(とはいえ、ホットドッグ屋台は絶品でした)。

見れば見るほど、吸い込まれそうな深い緑です。まるで手つかずの原生林ではないかもしれませんけど、古代神話をカラダで感じます。

この原生林は奈良駅から2kmほど行ったところから中へ入れるようになっているらしいです。このときは、とてもそこまでの余裕も時間もなかったんですが、2014年くらいを目安に二度目の奈良への旅を考えているんで、そのときは是非中へ・・・。


・・・ぼろい(泣) なんていうか・・・。これはちょっと扱いとしてかなり違和感を覚えます。




ちょっと画像だと見えないんですけども、現地だとはっきりと木が見えます。三輪山といえば「オオナムチノミコト神」が祭られているところで、私のつたない記憶だと本来的にはアマテラスオオミカミさんとかよりも古い神様だと思います。そして、この神様は「蛇の化身」ですよね~。三輪神社は正面から拝めないようになって いると思うんですけども、これは 考えてみるとかなり奇妙な話で、どこの世界に正面から拝めないご神体がいるというのでしょうか(・・;汗  かわいそすぎます。

三輪山

・・・といいつつも、わたしあまり格式張った神社仏閣には興味ないので(汗)、この空間は空間として味わっておきました。

お昼ごはんの頃に一緒にいた友達が「このあたりに、伝説のラーメン屋さんがあるらしい」と言い始めて、iPhoneの GPS で探したところ、たしかに表示されてるので、そこへ向かってタクシーで移動したんですけど、なんとすでに閉店撤退してしまっていて、空し過ぎた><  そんなこともあってパニクっていて、結局はどこでお昼食べたのかも思い出せないままに・・・(ーー;


崇神天皇陵からタクシーで5分以内のところに、イザナギの祭壇や石上神社の秘宝「七枝刀」「布津御霊剣」もあるらしいです。

この近くに、33枚の三角縁神獣鏡が発見されたそうで、邪馬台国はここにあったのでは?という説としてよく本とかにも載っているように思うんですけど、個人的にはやっぱり邪馬台国は九州にあったんじゃないかな?とぶっちゃけ思ってます^^;  九州の邪馬台国と、関西のヤマト政権と、2つの大きな勢力があったんじゃないかなー?とあたしは思ってますけど、その話をするとあまりよくなさそうなんで割愛します(汗)


世界遺産の春日大社にも行って参りました^^ あまりの広さにビックリしてしまい、歩き回っていたら時間切れになってしまったわたしでした>< あまり万 葉植物園とかもも見たかったなぁ・・・。春日大社での想い出といえば「甘酒」と「義経の兜」でした。ここになんで義経の兜があるんだろう・・・?と思った んですけど、春日大社には藤原家とかのゆかりの品々もいっぱいあるし、源家の兜があてもそんなに不思議じゃないのかなー?とは思うんですけど、義経さんは 東北で果てたんじゃなかったっけ(ーー;?? とか思うと謎です。




奈良駅の近くで「柿寿司」を美味しくいただいて、あわただしい1日をしめくくりました。振り返ってみると、「とにかく吉野は京都の宿からは遠すぎる・・・」ということが痛切に(ーー; 土地感がないので、京都からなんとなく電車とかで南下 してゆけば、いずれはつくかなーとか思っていたんですけども、移動距離というよりは山を越えないとダメだから、流石に遠い・・・。思えば、だからこそとあ る天皇は吉野に南朝を建てたわけだし、京都洛中から簡単にアクセスできるはずはなかった・・・とかあとになって思いました(ーー;


2014/12/9 加筆
来年の春に、運のめぐり合わせ次第で奈良に2泊、京都に1泊するつもりです。この日記が記された2011年に比べて、わたしの嗜好がだいぶかわったみたいで、次回の重要ポイントは「郡山城址」「豊臣秀長菩提寺」や「吉野の桜」にしようと思ってます。一泊だけの京都では思い切って洛南の「伏見稲荷大社」と「伏見散策」をテーマで旅するつもりです。思えば京都の伏見には一度だけしかいったことがないし、十分に歩きまわるだけの時間が持てなかったので、今度は洛南だけで1日かけて満喫しちゃおうと思ってます。「醍醐寺」も訪れたいし、当時とは違った感傷を抱きつつ、高台寺にも向かおうと思います。




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